神楽は総悟のベッドに寝かされたまま、じっと耳をすましていた。ベランダの扉と、部屋の扉が開け放してあったせいで、階下で起こっていることは全て筒抜けだったのだ。

　いつか殺してやるとさえ思った男に同情するなんて、どうかしている。
　そう思っても、涙が溢れて止まらなかった。
　愛しあっているのに、すれ違う想い。
　「絆」という堅い糸で結ばれているのに、くしゃくしゃに絡まったまま解れないもどかしさ。

　夜も大分ふけた頃、山崎がお粥を持って現れた。
　「気分はどう？吐き気がないようだったら、少しでいいから食べた方がいいよ」
　神楽は黙って頷いた。山崎は神楽の涙で濡れた顔を見て、「怖かったんだね。でももう大丈夫。全ては丸く収まりそうだよ」と、優しく声をかけた。
　「そ……ごは、ぶ、じ……？」
　山崎はそれに答えず、苦笑いをしただけだった。
　「ザキさ……わた、し、メイド、辞める……」
　神楽の言葉に、山崎は静かに頷いた。
　「……当然だよね。こんなひどい目に遭ったんだから。神楽ちゃんは本当に良く働いてくれたから、正直別れるのは辛いけど、仕方ないことだと思ってる」
　山崎はお粥を少しずつスプーンで掬うと、神楽の口元へ運んだ。飲み込む度に喉がひりひりと痛んだが、空腹には耐えられなかった。
　「今日はここで休んで。部屋を片付けたら、俺はソファで休むから。気分が悪くなったら、すぐに起こして」
　「……り、がと……」
　山崎は神楽の靴を脱がせると、そっと羽根布団をかけた。
　総悟の匂いがする。
　神楽はゆっくりと目を閉じた。

　客室のベッドに寝かされていた総悟は、カーテンの隙間から洩れる薄明かりで目を醒ました。全身が鉛のように重く、激しい痛みに起き上がるどころか、寝返りをうつことさえままならない。
　小人の国で全身を磔にされたガリバーの気分だ。
　（ザマぁねェや……）
　ただじっと、天井を見上げたまま、総悟は昨晩の醜態を思い返した。身体の痛みより、胸の痛みの方が強かった。
　神楽が自分を許してくれるとは到底思えない。
　傍にいて欲しかった、ただそれだけだったのに。「衝動」に駆られるまま、その命を奪おうとした。
　失って当然だ。

　その時、キィ、と小さな音がして、部屋の扉が開いた。
　薄暗い中、目を凝らしてよく見ると、其処に神楽の姿があった。
　「……え……」
　総悟は頭の中が真っ白になった。
　「もう……大丈夫なのか……？」
　神楽はそっと扉を閉めると、ゆっくりと総悟に歩み寄った。
　謝らなくてはいけないと思いつつ、謝って許されることではないとの思いが、総悟を混乱させていた。
　「……お前、随分、男前になった」
　神楽は総悟の湿布を施された顔面を指先でつっ突いた。思い掛けない台詞に、総悟はぽかんと口を開けたまま、その姿を見詰めていた。
　「前より、ずっと、イイ顔して、る」
　「……惚れたか？」
　「自惚れ、なよ、バカ」
　総悟は起き上がろうとしたが、頚椎から電流のように痛みが駆け巡り、「うぐ」と呻いたまま、脂汗を滲ませた。
　「……無理、すんなヨ」
　「面目ねェ……」
　神楽はベッドの脇に跪き、総悟の前髪を梳いた。
　「謝って、許されねェことはわかってる」
　「……」
　「この先一生、恨まれても憎まれても構わねェ……お前が望むなら、報復も甘んじて受ける」
　「……やっぱり、お前は、馬鹿ネ」
　「……馬鹿は死なねーと治らねェらしいな」
　「そうネ。お前は、もう手遅れアル」
　「……すまなかった……」
　総悟の力ない言葉に、神楽は表情をやわらげた。
　「俺ァこの通り、馬鹿だから、お前にどう償いをしたらいいかわからねェ…」
　首を僅かに傾け、総悟は神楽の瞳を見据えた。
　嘘偽わりのない、素直な気持ち。それは澄んだ水のように、神楽の心に沁みた。
　
　 「馬鹿なりに、精一杯、自分で決めた道を生きろヨ」

　「……」
　呆けている総悟に、神楽は微笑みを返した。
　「お別れを、言いに来たネ」
　当然の結果だとわかっていても、総悟の心は後悔と自責に重く沈んだ。
　「私は、もう使用人じゃ、ない。お前の、命令には、もう従わない」
　「ああ……」
　「だから、これからは、友達ネ」
　総悟は何か言いかけたが、言葉にはならなかった。
　胸の奥の傷口が、静かに癒えていく、感覚。
　あたたかな、痛み。
　「俺に、そんな……資格はねェ……」
　総悟は声を振り絞った。喉の奥が、熱い。
　「また会えたら、その時は、友達ネ」
　神楽は羽根布団の中に手を忍ばせると、総悟の左手を握った。ほんのり冷たくて、細い指の感触を、総悟は愛おしむように、優しく握り返した。
　実の母親が病死し、一家離散となった神楽にとって、ひとつ屋根の下で共に寝起きし、一緒にごはんを食べる、そんな当たり前の家族の生活は憧れだった。銀時に拾われていなかったら、たった一人で暗殺稼業に身を投じていた筈だ。
　血のつながりだけが「家族」じゃない。神楽には、身に沁みてわかっている。
　だからこそ、伝えたかったこと。

　「忘れない、で……お前は、ひとりぽっちじゃ、ないから……」

　神楽の瞳から、ぱたぱたと涙が零れ落ちた。
　「わかってらァ……」
　「また会えたら」と言ったが、神楽はもう二度とこの屋敷を訪れるつもりはなかった。使用人として勤めることになった時、提出した履歴書に書いた住所と経歴はデタラメだ。携帯電話も、この仕事が終われば解約することになっている。総悟がこの先、自分に会いたいと思ったとしても、その術は無いのだ。
　「ったく、何でお前が泣くんだよ……」
　総悟は抱き締めたくてもそれが叶わない、動かない身体を恨めしく思った。
　「泣くんじゃねェよ……今生の別れみてェじゃねーか」
　総悟は仏頂面で、神楽を睨み付けた。
　「……さよなら、総悟」
　「……またな、だろィ」
　どちらからともなく、握った手に力がこもる。
　神楽は涙を拭うと、精一杯の笑顔を作った。
　「お前は笑った方が、可愛い」
　繋いだ手は、互いの指先と爪の感触を確かめた後に、静かに離された。

　出来ることなら、引き止めたかった。叶うはずのない願い。だが、神楽は「許して」くれた。
　それだけで、充分だった。
　神楽はそっと立ち上がると、振り向かずに部屋を後にした。
　総悟はゆっくりと、瞼を閉じた。うっすらと漂う春の香りを、胸一杯に吸い込む。
　
　ああ本当に自分は、この女が好きだったんだと、今更ながら自覚した。



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　「お前その荷物、何？」
　待ち合わせ場所に車を停車していた坂田銀時は、大きなスーツケースを両手に抱えたメイドの姿に唖然とした。
　「メイド服。もういらないからって」
　「え？　何？　全部もらって来たワケ？」
　「捨てるなんて勿体ないアル」
　神楽はトランクの中にスーツケースを放り込み、助手席に乗り込んだ。
　「メイド服プレイが出来るネ」
　「俺、ナースの方が好みなんだけど……」
　神楽は無言で銀時の頬を抓った。
　「イデデデデ」
　銀時は頬を摩りながら、エンジンをかけた。
　「ただいま、銀ちゃん」
　「おかえり」
　神楽は銀時に向かって、目を閉じると唇を突き出した。触れ合うだけのキスを交わして、銀時はギアを入れると、サイドブレーキを外し、ゆっくりとアクセルを踏み込んだ。
　「ねえ、銀ちゃん。近藤勲の素行調査を頼んで来た依頼人て、誰アルか？」
　「さあな。大方反幕府勢力の輩か、テロリストだろ。警察とリンクした特殊武装組織が結成されるとあっちゃあ、活動に支障をきたすのは必至だからな」
　神楽は急に不安になった。依頼人が本当にテロリストだとしたら、近藤勲は暗殺の標的にされてもおかしくない。私財を投じてまで江戸を守ろうとしている一族を、窮地に晒すことになる。
　「どうしよう……私のせいで、みんなにもしものことがあったら……」
　「心配すんじゃねーよ。奴等に簡単にやられるようじゃ、組織を立ち上げたところで何の役にも立ちゃしねえ。それだけの猛者を揃えてることは調べがついてる」
　「……」
　「真選組が世間に認められるには実績を残すしかねーんだよ。逆賊共なんざ返り打ちにしてなんぼ、だろ。公費で運営していくならその程度の修羅場は覚悟しねーと」
　「ウン……」
　「その様子だと、お屋敷の生活もまんざらでもなかったみてーだな」
　「……みんなイイ人達だったアル」
　「まさかあの坊やに惚れたりしてねーだろーな」
　「惚れるワケねーヨ、あんなドＳ変態馬鹿」
　神楽は口を尖らせ、窓の外を見た。川を隔てた彼岸の土手には、満開の桜並木が続いている。
　
　 『一緒に花見に行かないか』

　総悟の手の温もりが、感触が、まだ左手に残っていることに気付く。
　もし、再度巡り会うことがあったとしたら。
　「……赤い糸ってやつを信じてみるかな……」
　「ん？何を信じるって？」
　「……何でもない」
　 神楽は給料と土産物の他に、慰謝料をもらったことを黙っていた。銀時にバレれば、キャバクラとパチンコにすっとんで行くのは容易に想像出来る。
　「報酬も入ったことだし、とりあえずメシ行くか。何食いたい？」
　「桜……見に行きたい」
　「は？　桜は食えねーよ」
　「団子なら屋台で売ってるネ」
　神楽は大きく伸びをすると、運転席の銀時に向かって微笑んだ。

　万事屋の「スーパーメイド神楽」が江戸の評判になるのは、後の話である。


　「スーパーメイド神楽」・完
　森猫シヲン　２０１２/MAY





この作品を愛して下さった皆様へ心からの感謝を込めて。
ウェブ連載はこれでおしまいですが、この作品は同人誌よりファンアートより人気があったため（苦笑）、「御礼の言葉は作品にして返す」と公言した通り、スーパーメイド神楽の番外編と、おまけエピローグをオフ本にして発行する計画をたてております。土方とミツバがビジュアル化されてないって、あんまりですよね。モチベーションが保てるか自信ありませんが、やれるだけやってみます。長い目で見守って頂けるとさいわいです。ちゃらんぽらんな管理人ですが、御意見、御感想ありましたら、一言でも構いませんので送って頂けると、とても嬉しいです。